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喜多村緑郎の「思い出」初代水谷八重子 小山觀翁撰集

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おはなし:水谷八重子
ききて:大木豊
1976昭和51年2月収録

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喜多村緑郎(きたむらろくろう)

[生]明治4(1871).7.23. 東京
[没]1961.5.16. 東京
新派俳優。本名六郎。

鶯亭金升に師事し,その雑俳仲間としろうと芝居をしたのが機となり,新派俳優を志した。
諸座を転々としたのち,1896年9月,高田実らの大阪角座における成美団旗揚げに参加。
1900年6月,秋月桂太郎を誘って大阪朝日座に新演劇合同 (第2次成美団) を興し,
以後の 10年間はもっぱら写実芸の錬磨に努め,新派を新派たらしめる素地を築いた。
1906年6月東京本郷座に戻り,『侠艶録』の演技で評判をとって名女方として活躍。
『婦系図』のお蔦,『日本橋』のお孝,『滝の白糸』の白糸などをあたり役とし,
鏡花役者ともいわれた。
新派3頭目の一人。また,新派女方の後継者として花柳章太郎を育てた。
1955年には重要無形文化財保持者に認定された。文
化功労者。著書に『わが芸談』などがある。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

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表紙の写真は

「日本橋」 
大正4年3月  本郷座 お孝…喜多村緑郎、葛木晋三…伊井蓉峰
「黒蜥蜴」
昭和37年3月 サンケイホール 水谷八重子

色紙は、
1977昭和52年10月16日に
初対面の水谷八重子さんに書いていただいた
いただいた色紙です。
この時、父と母が「倅は『黒蜥蜴』(三島由紀夫戯曲)を
3歳の時に、
食い入るように観ていたのが、
芝居見物の最初なんです」と説明してくれて。
ぼくが、当時の筋書きを大切に所持していたのでご
披露したのでよろこんでくれました。
寄せ書きは、
柳永二郎さん、波野久里子さん、
出崎準一 大阪つる家主人です。

『黒蜥蜴』千秋楽に連れていったところ、
左右の両親の手を握って、最初から最後まで真剣に観ていた、
とのことでした。
1962年3月26日、3歳10カ月のことです。

この時、もし騒いだり、嫌がったりしたら、
その後の観劇三昧は無かったことでしょう。

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